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子供を育てるということは、一体どういうことかと頭を悩ませる。
一言で言うと「自立する力をつけて、巣立ちさせることである。」ということに尽きる。
この方向性さえ見失わなければ、後は、人間らしさのプラスアルファ加えればOKということになるのだが、これがうまくいかない。

何故か、それは、人間という動物が成人してからも親子の縁が切れない特殊社会を作っているからである。
子育ての矛盾のすべてがここに起因している。

文明社会の特色は、権力と富の蓄積にある。ホモサピエンスは長命であり、2世代ぐらいは当たり前で、3世代、4世代が共存する。
人間以外の動物ならば、体力勝負であり、弱肉強食の原則が貫かれている。しかし、人間の場合、体力の衰えた高齢者でも、知恵、経験、権力、財力がありさえすれば、成人した子に対してさえも勝者となり得る。親子の関係でもこの権力関係が続く。親はこの権力関係を終生持ち続けたいと考え、創りだした言葉が「親孝行」。

それ故、子供の「自立」「巣立ち」という目標は有耶無耶にされる。
特に、結婚生活に失望した母親は、子供を生きがいとする余り、大切な子供の自立を妨げいつまでも自分から離れないように画策する。よく考えてみれば、このような母親自身が自立出来ていないのである。このような母親を見分ける一番の方法は、家事は子供に教えないしさせない。しかし、「勉強はあなたのためでしょ。」を繰り返し、社会性とは「ヒトに迷惑をかけないこと。」と連呼する。もっとたちが悪いのは、夫婦揃って、「いい子である。」あることを子育てだと勘違いしている場合である。このようにして育ったオコチャマは、自己の確立も自立もないので、巣立ちもない。挙句の果てに、子供が子供を育てるという悪循環が繰り返される。

子育てとは本来無償のものでなければならない。子に見返りを求めてはならない。しかし、集団生活をする人間は、一人では生きられない。同じ生きるなら子どもと一緒にということになる。そのためにも、見えないへその緒で子供をつなぎとめておく必要性が無意識に働く。親の欺瞞的愛情の押し付けは、子供の精神の不安定と自信喪失につながる。

かえって、親が反面教師であるほうが、欺瞞的な親よりはマシかというとそうでもない。子供は、子育てを親から学ぶのでやはり負の連鎖は続くのである。

では、どうすればよいのか。わかりきったことである。学校である。小学校、中学校、高校、大学で教えるのである。
私は、この長い学校生活の中で、「子育て」について習ったことは一度もない。
あまりにも難しいテーマなので、誰にも教えることが出来なかったというわけでもないとは思うのだが。