2015-「赤いこだま」完成
作品「2015-赤いこだま」が完成した。
今年に入ってから、フランスを皮切りに、次々と起こるイスラム国のテロや誘拐惨劇。あまりの悲惨さに言葉を失う。
私の信条は、殺人に良いも悪いもなく単なる「人殺しだ」ということである。大量殺人という戦争は、いつも正義の名のもとに行われてきた。ひとりでも多く殺したほうが褒め称えられる弱肉強食の世界。一般社会における個人的な殺人は、処罰される。戦争では、勝てばすべてが許される。戦闘員はいくら殺しても殺されても良いという論理。大義名分がたてば、堂々と胸を張って人殺しを奨励する国の指導者達は、いつも安全な場所から指揮をとって叱咤激励する。死んでゆくのは、ついこの間まで子供だった若者達。母親たちの嘆きの声は届いた試しはない。嘆きは怒りとなり、怒りは復讐となり、負の連鎖が続く。歴史から何も学ばなかった指導者達。国家エゴイズム、民族エゴイズム、宗教エゴイズムは讃えられる。エゴイストな個人は非難され、否定される。
この矛盾はどこから来るのか。世界は、殺す側に立ち、加害者側に立って論理を展開する。殺人の言い訳と正当性は語られるが、殺される側の声はなかなか聞こえてこなかったが、インターネットが世界の歴史を書き換え始めた。ネットの画像を通じて、殺された側の無念の声を世界中に知らしめた。今までなら、名も無き人であり、歴史の闇に葬られていた人たちが、たとえ一瞬であろうと一国の指導者と同列に並ぶ時代がやって来た。世界はその一歩を歩みだした。「殺される側の声よ世界にこだませよ」という思いでこの作品を作った。
どのように取り繕うと、殺人は殺人であると、インターネットを通じて世界は知るところとなる。しかし又、インターネットは諸刃の剣でもある。イスラム国が若い兵士を集めたのもインターネットであったことも忘れてはならない。