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今日は、春分、お彼岸である。朝からお墓参りのマイカーで道路は渋滞していた。

我が家は、父が墓を近くに移したのですぐに行ける。母が亡くなって直ぐに移した墓の中に、母の遺骨が入っているものだとばかり思い込んでいたのであるが、我が家の墓は空っぽであった。父の遺言状を読んで唖然としたのである。父の遺言状には、「わしが死んだら、仏壇の裏においてあるばバアサン(母のこと)の骨と、儂の骨を用意してある乳鉢と乳棒で混ぜあわして墓に収めてほしい。」とあった。確かに倉庫の中には、何に使うのか真っさらな大きな乳鉢と乳棒が入り口の棚に置かれていたのがいつも気になっていたが、父に尋ねても、「そのうちに分かる。」の一点張りで答えてくれなかった。

父がいかに母のことを愛していたかと思うと、涙が止まらなかった。なぜ母が行きているうちにもっと声に出して「愛している」と言ってやらなかったのか、そして、優しく接してやらななかったのかと思うが、大正生まれの父には到底口にするには気恥ずかしいセリフだったのだろう。ただ、母の納棺の時、父は母の棺にすがるようにして、「ごめんな、ごめんな、」を繰り返して号泣していたのが今も忘れられない。

火葬の日本では、残るのは骨と遺灰だけである。あの世でも、父と母がもう一度若き日に戻り新婚生活を謳歌してほしいと願い、ユーモラス(骨まで愛して)に描いてみた。