2012-02-20_3
箔アートは、私が次から次へといろんな技術を用いるようになるので、一般のお弟子さんでは、なかなかすべてを修得することが難しい。

「門前の小僧習わぬ経を読む」のことわざ通り、時々作品の制作や素材作りを次男に手伝わせているうちに、自然と理解するようになっていったのには驚いた。しかし、本人はあとを継ぐつもりは全く無いようであった。次男の口癖、「写真や映像関係に行きたい。そんなマニアックな工芸は面倒だ。」の一点張り。

仕方なく「芸は身を助く。」だと言いくるめて、次男をバイトのアシスタントとして雇った。どちらがアシスタントかよくわからない始末であったが、一緒にアトリエで作業するのは楽しかった。時々、大喧嘩もするが。

写真撮影は、すべて次男がやってくれた。ピクセルスティックの画像の最終仕上げも次男である。大学生になってからは、少し面白くなったのか大きな作品なんかも作るようになり、サロン・ド・トンヌに入選してからは、心なしか欲が出てきたようである。それでも、次男は「現代は3Dの時代だ。映像の時代だ。箔なんてクッサイわ。」と、私に説教する。しかし、ここ5・6年の私の作品はよく考えてみれば、誰の作品かよくわからない。次男を教えるための教材だったような気がする。地塗り、素材作り、ピース暈し、構図のとり方、仕上げのやり方など、ほとんど次男の手になった作品ばかりである。よく着いて来てくれたと思う。これらの作品にに私のサインはとてもできない。

20代の次男にとって、箔もクソもない。どこかに面白くホログラフィーが光っていれば、それだけでいいのだから、フィルムだろうが紙だろうが箔だろうがなんでもありである。これは、はり絵かデコパージュかと首を傾げたが、実にのびのびと楽しくやっているのを見て、自分の作品がアートから程遠いのでないかと不安になったこともあった。完成度はたしかに私のほうが高いが、自由さにおいては負けている。私にはいい刺激である。

その上、私の作品をデジタル撮影して、その画像を組み合わせて新しい作品を次々へと作っていく。短時間に出来上がる作品らしきものを見て、確かに、時代はどんどん変化しているのだと実感している。私の作品は、次男にとって単なる映像作品の組み合わの素材にすぎない。ぐの音も出ない。

最近、次男は車に箔アートしたいと言いはる。昔人間の私は、そんなクルマに乗るのは恥ずかしいのではと、現実的なことばかりを考えてしまう。

週単位月単位で、次から次へと何やら私の理解を得る何かを必死で作っている次男。確かに、次男には私と同じ血が流れていると妙に納得する。