美醜の基準
神戸で東南アジアのインテリアグッズを扱っていた店で買った面。二つペアで飾られていた。面はいろいろあって民族色豊かなカラフルなものが多かったが、この二つは彩色もなく伝統的なところもない。むしろ写実的ですらある。この2面の仮面を持って友人の個展に行ったのだが、そこで会った芸大の先生や友人に、「貴方の好みは変わってる。」「こんな醜い仮面が好きだなんて・・・」等など、散々な感想を頂いた。
美少女を描いてそこそこ売れていた先生には、「悪趣味だ」と言われた。
美醜の領域が狭い人は多い。その美醜の基準も自分の好みと世間の評判に依っている。この仮面の生命力とエネルギーに感動しないのだろうか。この仮面は想像だけで作られたものではなく、モデルが居ることに疑いはない。このモデルの精神のおおらかさが顔に現れている。精神の美醜は顔に現れる場合があるが、この仮面に於いては精神的な美しさが表れている。どのような美人でも、泣いたり怒ったりして自分をさらけ出している時こそ、本質的な美醜が現れる。
この仮面の良さを理解できない人達は一体どんなに退屈な人生を送るのだろう。