野波ツナ著「アスペルガー症候群とのつきあい方」を一度は読んでみてもよいのでは。
アスペルガー症候群(ASD)と書いてあるが、今では自閉症スペクトラムというが、便宜上、ASDと書かれている。何度も読んでいると、症状として色んな表れ方をしているが、発達障害の元の原因は一つのような気がする。
ASDの人は、小さな穴から覗いているような認識の仕方しか出来ないのではないか。広い平面や立体として総合的に物を認識できないので、ノーマルの人達から見ると、あれが出来ないこれがだめだということになる。
人類が築いてきた文明社会というものは広大で重層的である。正常発達の出来のいい人ですらこの複雑怪奇な世界を認識することは不可能に近い。其の規模を小さくしてみるとASDの世界なのではないか。結局相対的な認識の問題かもしれないような気がする。
ASDの世界とはどんな世界であろうか。例えてみれば、トイレットペーパーの芯の穴を通して世界を見ているようなものだとすれば、きっといろんな不具合が出てくるはずである。
特に自分の方向においても小さな穴からしか見れないとすると大変である。空気が読めないとか、社会適応性がないとか、自己認識が出来ないとか、共感性がない、など殆どのことはこの小さな穴からしか見れないことに原因があるのではないか。要するに視覚に問題がある。視覚だけではなく聴覚など5感にまで及んでいるのかもしれない。正常発達からすると全くの別世界である。
別世界の人達にこの世のあり方通りに生きなさいと強いるのは酷である。しかし、多数派が勝つのがこの世の掟。では、ASDの人達は、どうやってこの世を生き抜けばよいのかということになってくる。知能の高いASDや得意芸があるASDは十分生き残れるが、その他の人は社会の隅に追いやられるのか。
そこで色々考えた。この小さな穴は広げることは出来ないのかと。私は経験の結果、出来ると確信している。ASDの高校生にデッサンを教えていて、偶然にも其のことに気付いたのである。一つのものなら訓練によって正確に描くことが出来る。2つになるとやや難しいがこれもトレーニングでクリアできる。しかし、3つのものを同一平面にある状態を描くことが出来ない。なぜなら、立体を認識できないからである。要するに立体というものを認識する訓練をするのである。この立体という感覚を訓練するとデッサンだけではなく、日常生活の認識視野が広がっていったのである。その上、コミュニケーション能力も上がっていった。大人になって発達障害の程度が軽くなっていく人がいるのは、経験を積むことで認識の仕方を学ぶからではないだろうか。児童期に療育がなされてきた人がかなり生活しやすくなるのもうなずける。しかし、大人になってからも時間はかかるが出来ないことではない。
デッサンをしたおかげで、「視野が広がった」とASD本人は言う。「今まで見ている部分以外はボヤーッとしていたが、デッサンをするようになってからは、はっきり見える部分がかなり広がって、いろんなものが同時に見えるようになってきた。そのせいで、同時に幾つかのことが出来るようにもなってきた。」とも言う。その後の彼の目をみはるような色んな能力の開花にはびっくりするものがあった。
ただ気になるのは、明暗の具合がいまいち理解できていないというか、認識できていないのが今後の課題である。しかし、必ず方法はあるはずである。
発達障害の人の頭の中は社会適応できていないがゆえに、ユニークなアイデアでいっぱいである。このユニークな考えこそが良くも悪くも社会に問題を提起し、社会発展の原動力となってきたのも又事実である。
人類の社会は、発達障害の人無くしてはきっと発展しなかったに違いない。社会適応に長けた人たちの集団ばかりでは社会に変化というものがない。変化のない社会には発展もない。
精神科医にとっては発達障害なんて所詮他人事。脳のビョウキなのである。教科書道理に薬を飲ましておればいいという医者が大半。しかし、家族は違う。必死である。生活をともにしている人なればこそ、いろんなことを観察する機会に恵まれているのだと思う。後ろ向きにならず前向きに考えてASDの人と生活をともにするのは大変かもしれないが、これしか方法がないとすれば、観察日記(ブログ)を書くことは非常に意味があると思う。こんな情報が積み重なって、思いもかけない結果につながるものである。
そういう意味でもこの本は色んな具体例があって解りやすい。健常者の立場から発達障害の人を見て書かれているのであるが、ASDの人が周りからどんな風に見られているのか知ることは大切なことである。文字記憶型のASDの人には、このような本は必要はないかもしれないが、視覚記憶型のASDの人にとっては、このよう漫画本は有り難いと思う。ASDの人が自分自身を客観的に認識することは大変困難なことである。このような本は、其の入口としての意味合いが大きい。専門医の監修もあるのでいい加減なことは書かれていないはずである。