お地蔵様の本来の名前は、「地蔵菩薩」といい、仏教の神様であるが、日本昔ばなしのアニメなんかを見ていると民間信仰の神様のように思えてくる。お地蔵様は寺院屋内に安置されるより寺院の境内や村の入口、峠の道、墓地などの屋外に置かれ、庶民の生活に親しい仏様である。

仏教における地蔵菩薩とは、釈迦入滅、即ち、お釈迦様が悟りを開いてこの世を去られたあと、56億7600万年後、弥勒菩薩がこの世に出現するまで現世には仏が不在となってしまう。その間、六道すべての世界に現れて民衆を救済したり願い事を叶えたりする存在が地蔵菩薩である。


地蔵菩薩の外見は、他の仏のようにデコラティブではなく、至ってシンプルである。袈裟だけを着けたお坊さんに似ているが、額に白毫と呼ばれる丸くて白い産毛が生えている。持ち物は、どんな願い事でも叶うという如意宝珠、邪気(じゃき)を祓い清める働きを持つ錫杖。手のひらを正面に向けて下に垂らす形をとることもある。


お地蔵様は、村人の安全を守る道祖神としてや、五穀豊穣の神として信仰されてきた。双体のお地蔵様は道祖神としての神から派生して夫婦和合、子孫繁栄などの信仰の対象となった。


道祖神は、結界を守護する神である。結界とは秩序を維持するためにある一定の限られた区域の境界のことで、例えば、この世とあの世の境や、女と男の違いなどをさしたりする。


また、風邪の神、足の神として子供たちの守護神として信仰を集めてきたことから、結界としての道を守る道祖神のまつりには、必ずと言っていいほど子供が中心となってきた経緯がある。


平安時代になると、浄土信仰が普及し、この世で功徳を積めば極楽浄土へ行くことが出来るというので貴族たちは競って寺院に寄進をしたり写経に励んだりしたが、貧しい民衆は地獄へ落ちるとみなされた。しかし、地蔵菩薩がそこへ救いの手を差し伸べ地獄の責め苦からの救済を説いた。


六体のお地蔵様を六地蔵といいよく見かけるが、その由来は、仏教の六道輪廻の思想に基づき、すべての命は6つの世界に生まれ変わりをくり返すもので、その6つの道とは地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道でそれぞれに地蔵菩薩があてられていることによる。


仏教の神々は、上から、如来、菩薩、明王、天の富ん階級である。悟りを開いているのが如来、悟りの途中なのが菩薩である。釈迦は悟りを開いているので釈迦如来という。

地蔵菩薩は、出来る限り多くの人達にかかわり、救済することで悟りへの道を開こうとしているのである。


菩薩には、観音菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、日光菩薩、月光菩薩、勢至菩薩、弥勒菩薩などがいる。


寺院の境内に稲荷神社が祀ってあるのを見かけるが、これは神仏習合といい、仏教の仏と神道の神とは同一の存在であるという思想に基づく。この思想が本地垂迹(ほんちすいじゃく)で、如来や菩薩は人々を導くために仮の姿で降臨してきたのが神道の神々であるとする。大日如来と天照大神とは同一のものであるという思想である。又、稲荷神社においては荼吉尼天が本地仏とされ、 穀物の神の総称である。


人々のすべてを見知っている地蔵菩薩は、閻魔大王としてのもう一つの顔を持って、民衆に地獄の恐ろしさを説く。お地蔵様は、あの手この手で迷える民衆を正しい道に導こうとするのである。


民衆信仰の中でお地蔵様は、別名「子安地蔵」「身代わり地蔵」「道祖神」などとして親しまれ、
魔除けの赤いよだれかけや帽子を着けられるようになる。


その他にも、「とげ抜き地蔵」、「イボ取り地蔵」、「子育て地蔵」、「子安地蔵」、「安産(腹帯)地蔵」、
「田植え地蔵」、「裸地蔵」、「身代わり地蔵」、「縛り地蔵」、「延命地蔵」、「勝軍地蔵」、「水子地蔵」などの地蔵が次々と考案され民衆のよろず願い事を引き受けるこの世に即した神となって降臨したのである。
やがて、お地蔵様は現代に至り、「日本昔ばなし」の主人公となって茶の間の人気を博するようになった。