住友病院のロビーの一角には、金鉱石が展示されているが、今まで、特に注意をひくこともなく見過ごしていたが、スマホを忘れた日に限って、あまりに長時間待たされ、この妙な大きな石ころに気付いたのである。よく見れば、金鉱石なので、急に興味津々になり説明書きなんかを読んで帰ったわけである。

調べてみると、「住友は、戦前、日本の3財閥の一つであり、世界最古の財閥と言われ、その起源は2代目の銅製錬業である。住友財閥の大躍進の基となったのが元禄4年(1691年)に開発した愛媛県の別子銅山であり、昭和48年(1973年)に閉山されるまで、282年にわたって総生産量75万トンの銅を産出し続けた。」とわかり、2度めに住友病院を訪れた時はデジカメで写真を撮って帰ったのである。


愛媛県新居浜市の南東に位置する別子銅山は、1690年(元禄3年)に発見され、翌1691年に開坑し、以来、1973年(昭和48年)に閉山するまで、江戸・明治・大正・昭和の4時代283年にわたり、銅を産出し続けた。
元禄4年開坑された別子銅山の銅鉱石からは、銅以外にも多くの金銀が産出された。


住友病院のガラスケースの中には、この2つが飾れていて、左の大きな石が金鉱石だということはわかったが、右側の代物が一体何なのかがいまいち分かりづらかった。というのも、右上にある説明書の句読点がなかったミスにより意味不明な文章になっていたためである。



そこで何度も読み直し、「住友金属鉱山寄贈」とあるこの文章を分かりやすく書き直してみた。

「別子銅山では昔から元旦に、しめ縄で飾った大小二個の鉱石を山神社に供え銅山の繁栄を祈願する。鉱石は大を『大ハク』、小を『小ハク』という。

『大ハク』は重さ約800キロブラム、『小ハク』は役5キログラム。別子山中に事業の中心があった頃は、雪中を法被姿の従業者が歌に合わせ、そりにのせた『大ハク』を引き綱で神前に運んだ。


『小ハク』はその『大ハク』を象徴して作られている。ついで、『小ハク』は式場に移されて飾られ、銅山の代表者によって古式に則り屠蘇が祝われる。尚、『小ハク』は二個作られて、その一つは、予め住友家に送られ新年の床飾りとして供えられる。」

これで、左のものが住友家の正月の床の間に飾られたものだとわかった。


この写真は、別子銅山記念館のロビーに飾られたものであり、その説明は以下のようになっている。

「ロビーには、「大鉑(おおばく)」が飾られています。大鉑は、毎年元旦に、自然の恵みへの感謝と銅山の繁栄・安全を祈願し、古式により大山積神社に奉献されていた鉱石のことです。展示品は、1973年(昭和48年)に奉献された別子銅山最後のもので、重さは約300kgです。」
別子銅山記念館 | 住友の歴史 | 住友グループ広報委員会

住友病院の説明文には『大ハク』は八〇〇キロと書かれ、一方、別子銅山記念館の方は、三〇〇キロだと書かれている。どちらが正しいのか。

兎に角、住友病院のロビーには、住友財閥のお宝の象徴が飾られていることがよく分かった。

尚、、通称、住友村(すみともむら)といわれる地域が、大阪府大阪市中央区の淀屋橋にある、ここは住友系のビルが立ち並ぶ一帯で、北浜四丁目と今橋四丁目にあたる。高麗橋四丁目まで含める場合もある。ビル群には、住友グループ各社の本社や大阪の拠点などが入居している。また、住友の重要な歴史ある地の一つでもある。そんな地域に住友病院はある。

色々検索していてわかったことは、住友財閥は解体されたが、実質は未だに健在であるという事実であった。