契約書を書いた司法書士を探し出して、地上権が付いていたことが判明。少しやれやれ。
売り主のおじいさんに再度確認に行ったら、記憶がどうもあやふやで心もとない。ただ地上権は成立していたことだけは断言してくれたが、証拠はない。そこで、父の残した記録を探しまくっていたら、司法書士が制作したと思われる建物の売買契約書が出てきた。この司法書士がわかればかなり詳しいことがわかるはずだと思ったがその名前が思い出せない。きっと何処かに書かれているはずと探し回っていると、その名前を書いた封筒を見つけたので早速息子と一緒にに訪問することにした。その前に電話をかけるが全く誰も出てこない。高齢になって入院か、旅行に行ったかと悲観的なことばかり考えるが、とにかく分かった住所まで行くことにする。
訪問したのは土曜日(2月23日)の夕方であったせいかシャッターが閉まっていたが、2階の窓から顔を出された人と話して司法書士さんだと確認できてホッとする。高齢ではあるが頭はしっかりされていて、父のことを話すとよく覚えておられた。父と郷里が一緒だと言うので、仕事を超えて仲が良かったようである。
昭和50年代だと、今とはかなり事情が違っていたらしい。それでも、地主と建物の所有者が違う場合、いくら28年間も売り主の平田さんが住んでいたとはいえ建物だけを黙って売ることは出来ないので地主の許諾を取りに行ったそうである。建物だけの売買のこの場合、建物には地上権が付いていたという事であると契約書を作って売買に立ち会った司法書士は保証してくれた。
それでやっと父があんな小さな建物にかなりの金額を払ったことがよくわかったのである。地上権の登記は地主側にその義務があるが、買い主側は自分では出来ない。それで父は怒っていたのだということがわかった。
そこで父は、20年計画を立てて、20年後に登記してもらうことを地主と約束したようである。確信はないが、父の愚痴を聞かされていた限りではそうなるのかなあと思う。その後20年間、父は税金を払い火災保険をかけ続けたのである。急に値上げした地代も払えと地主から言われ、地上権を確保するためにそれも実行していたのである。そして、がんに侵されていたた父は、やっと20年目に言われるまま再び土地のお金を払ったらしい。
これでやっとこの土地の権利を確実に手に入れたと思ったが父ではあったが、やはり地主は登記を無視したようである。ガンの末期にまで進んでいた父は、裁判をする気力もなく、その後まもなく他界してしまったのである。
父は最後に、その問題の不動産を寿命の長い私の息子に託したのである。あちらこちらに「この家は壊すな。この家は地主に返すな。」と書いたものが出てきて、実際にも私や息子に「この土地は永遠に俺のものだ。」と言いながらこの世を去っていったのである。
で、私達は一体どうすればいいのか?あの家はまだ滅失登記の対象となっているのか。私は未だに地上権の概念がよくわかっていない。やっと息子から借地権と地上権のよく分かるサイトを見せられて納得したのである。
次はこの違いについて書いておこうと思う。
この1週間は探偵になった気分であった。それにしても父の記録魔ぶりは、常軌を逸したレベルである。プライベートなことなのであまりブログには書けないが、中には笑いそうになるものもあった。地主が勝手に書類を作ったらいけないので、自分の10本の指の指紋と筆跡と印鑑のコピーがいっぱいあちこちから出てきたのである。これって自作の遺言書にも添付されていたように思う。それと、父が重要に思った順番にその書類のコピーの数が多くなるのである。こうなってみると、何となく分かる気がする。