記録魔の父が自分の片思い日記を母に見つかって大変なことになった思い出話。
恐ろしいほどの記録魔の父の特性は、この度の建物を勝手に断りもなく壊された事件の場合、いっぱい色んな記録が出てきてプラスに働いた。しかし、随分以前になるが、記録好きの父が自分で自分の首を絞めてしまったことがある。
几帳面な父は自分の机の上も机の中も常に綺麗に整理している。ある日のこと、机の上を雑巾で拭こうとした母が引き出しが少し空いていたので閉めようとしただ何かがつかえて閉まらなかったのである。何がひかかっているのか見ようとして引き出しを引っ張ったら、机の裏側から黒い手帖がテープでぶら下がったまま出てきた。
何やらまだつかえていそうなので手を入れて探ったら机の裏一面に何かがテープで貼り付けられている。
初めに取り出した手帳をパラパラ見ると何やら女性のことについて書かれてあったので、頭に血が上った母は思い切り手を差し込んで机の裏一面に貼り付けられていた手帳を全て引っ張り出して、片っ端から読んでいったのである。
そのころ私は結婚して家を出ていたのであるが、母から泣きながらかかってきた電話に初めは一体何のことかとかと理解できなかった。母は「さよなら、私はもう死ぬわ。」を繰り返すので落ち着かせようと思ってあれこれ訪ねても、「もうだめなの。さようなら。」と言って電話を切ってしまうので、すぐに実家に行こうと思っても1時間以上かかる。進退窮まって警察に電話して「母が自殺しようとしているので止めてください。」と説明してた助けを求めた。
実家につくと、警官が来ていて、母は飲めないお酒を飲んでヘロヘロで父は奥の部屋で憮然としていた。警察は「後はよろしく。」と言って返っていったが、その時点でもまだ事情が飲み込めなかったが、母が大事そうに抱え込んでいる黒い手帖を読んでやっと理解することが出来た。
記録魔の父は、母と結婚する以前から片思いの女性がいて、その女性への思いとプレゼントの類などを細々と記念写真とともに黒い手帳に記録していたのである。何十年にも渡る片思い記録である。手帳のサイズも大小様々で、その手帳を机の引き出しの裏一面に大判のセロテープで貼り付けていたのが、経年変化で粘着力が弱まってテープが剥がれ手帳がぶら下がってきて母に見つかってしまったようである。いつも鬼瓦のような顔をして偉そうにヒンゾリ返っている父の片思い日記なんておよそ想像を絶するものであった。
母に同情しつつも、記録魔の父にも呆れ果て、犬も食わない夫婦喧嘩の仲裁をするはめになった。母があまりのギャーギャー騒ぐので「それなら離婚したら」と言うと、母は更に怒り狂った。父はと言うとブスッとして黙秘を貫いていた。一応、1週間ぐらいでその騒ぎは収まったが、余波はそれ以後もあったようである。父がその記録を残したことをどれほど後悔したのかは不明。
その後も、父の記録魔ブリは衰えることなく死ぬまで続いた。父の記録魔の遺伝子は妹の方に伝わったらしく、引っ越しのたびに日記の詰め込まれた重そうなダンボール箱を持ち運んでいる。その内容が父と同じであることは、その後の妹の夫から聞かされた。
私はといえば、日記はもとより計画表も家計簿もつけたことがない。生まれて初めて自主的に書き続けているのがこのブログ。故にこのブログは私にとって奇跡なのである。何しろ過去ログが2000に達したのであるから、大したものだと自画自賛。劣性遺伝子が今頃になってじわっと芽を出したのかな。