オギャーと生まれてくる時、選ぶことのできない親と国。
自由と平等なんて、そもそも生まれたとたんから幻想だってわかる。
まず人間かどうかでも大きく変わってくる。卵で生まれたら話はガラッと変わる。自分で殻を割って出てこなくてはならない。すぐに立ち上がってエサを探さねば生きてはいけない。ブロイラーなんかに生まれていたら、あれこれ言う間もなくフライドチキンになってしまう。こうなると人間でよかったとしみじみ思えてくる。
まあ、人間の赤ちゃんだって大きな頭で産道を通って出てくるのはきっと大変なんだろう。覚えていないけれど。
生まれてすぐにえさにありつけるかどうかが問題。その点、哺乳動物に生まれてきて母親にしがみついていたら何とかなる。
ただ問題なのは、母親に子供を育てる覚悟ができているかどうかだ。中には、産後鬱で育児放棄という悲惨なことも起こる。
抱いてくれと大声で泣いていたら気の短い父親にボコられて、生死の境をさまようことだってある。
。愛情深い両親に恵まれることは、宝くじに当たるより幸運なこと。
どんな時代に生まれるかも重要。パパとママが見分けがつかないこともある。ネアンデルタール人かホモサピエンスかでも、大きく変わってくる。一応、現代人に生まれてきたとしても、上流階級か下層階級かでも環境はガラッと違ってくる。不平等はこの辺から子供でも認識できる。ブツブツ文句を言ってもどうにもならない。それよりも見えない遺伝子の問題が根底にある。才能に恵まれるかそうでないかでこの先の社会環境を泳ぎ切るのに雲泥の差がある。親がどうのこうのという以前の問題ではないか。「自由・平等」の概念はだんだん遠くなる。
まあ何とか中加減のところで手を打ったとしても、生れ出た国が北朝鮮やアフガニスタンやパレスチナだったら、自由とか平等なんて言う言葉もあるかどうか怪しい国に生まれていたら、もう生きているだけでありがたいと思えてくるに違いない。まして女性に生まれていたら、人間ですらない国もある。
私も生まれてこの方随分経った。オギャーと生まれた時より墓場に近くなってくると、これ以外の人生ってあったのかといろいろ考える。もしあの時、祖父がスペイン風邪で死ななかったら、もしあの時母が父と合わなかったら、もしあの時私が癌にならなかったら・・・あれやこれや考えると人間て随分偶然的な要素に振り回されてハアハア言いながら生きていくんだとため息が出てくる。
そう考えると、政治家というのはタフ以外の何物でもない。その上国民の人生まで振り回すのだから。彼らが、オギャーとこの世に生まれてきたときから、権力欲のエネルギーに満ちた目でこの世を眺めていたのであろうか。自由と平等の代わりに支配と権力がすべてに勝る価値観なんだろう。彼らはどこに生まれようが関係なく支配と権力に向かってひたすら邁進するのかな。
ここんところ、テレビは総裁選の話題一色で、ボーっと見ているとあらぬことだ次から次へとあぶくのように湧き上がってくる。