ウクライナの国旗はブルーと黄色の2色。

「史料上に初めてウクライナの黄青(金青)の旗が登場するのは、1410年のタンネンベルクの戦いのときである。当時の記録によると、西ウクライナ出身の騎士たちは、坂を上っている金色のライオンと、羽を開いた二頭の金色の鷲で飾った2つの青い旗の下でポーランドの王の本陣に馳せ参じたと記されているのである。

その後、16世紀から18世紀にかけてウクライナ・コサックの間で広く使用された。

ウクライナ民族主義の盛り上がっていた1848年には、正式にウクライナ民族を現す旗として黄色と青色の旗が選定された。但し、このときは黄色が上部であった。この旗が選出された西ウクライナは当時オーストリア=ハンガリー帝国領下にあった。」(wikipediaより)


ウクライナの平野の写真を見ると、そのまんまが国旗になったみたいである。


しかし、現在の国旗になるまで国旗はいろいろ変わっているが、そのことがウクライナの波乱の歴史を物語っている。日本の国旗は明治維新以来ずっと日の丸である。


国章は、国家を象徴する紋章や徽章のことで、その国の風土、歴史、文化などが象徴的に表現され、その国を理解する上で国旗よりも多くの情報を含む。

金色と青色の旗や紋章は、古くはキエフ・ルーシの大公ヴォロドィーメル1世の時代から使用されていたと言われる。


ウクライナの国章である「トルィズーブ」(三叉戟・さんさげき)は、3つの穂を有する戟で、武器としてのほか、漁業にも使用された。


ウクライナの紋章・国章も又激変の歴史の中で幾度も変わってきた。上はウキペディアの資料を参考にしている。



ウクライナの国花は、セイヨウカンボクとスミミザクラである。セイヨウカンボクは、ヨーロッパに広く分布し、ウクライナやロシアでは文化的にも重要な樹木である。もう一つのスミミザクラ は、ヨーロッパや南西アジアに自生するバラ科サクラ属サクラ亜属に属する植物である。


ニュースの画像なんかを見ていると、ウクライナの国花はヒマワリかのように思えるが、ヒマワリの花はロシアの国花で、ロシアは旧ソ連の国花をそのまま受け継いでいる。一方ウクライナも又、旧ソ連の連邦国であったため、慣習的に国民はヒマワリも国家として見なしているようである。ロシアとウクライナは元は同じソビエト連邦の兄弟国である。ロシアが長男でウクライナが次男のようなものである。ロシアにもウクライナ人が暮らし、ウクライナにもロシア人が暮らしている。両国民からすれば喧嘩してほしくはないはずである。ロシアの独裁者プーチンの歪んだエゴから多くの国民の命を踏みにじり、危険に晒しているのである。暴力に訴えて得たものはいつかはそのために滅びることは歴史が証明している。

動乱期に輩出されるカリスマ的人物は平和時にはむしろ厄介な問題児となる。プーチンはもはや現在のロシアにとって危険人物でしかない。ロシア国民は早くこのことに気づくべきである。