ロシアはその広大な国土と極寒の気候のせいで、侵略されずに過ごしてきたが、その陰には植民地扱いされ搾取し続けられてきたウクライナの存在がある。ウクライナが真の意味で独立国家としての悲願が成就したのは、ソ連崩壊後だったと言える。しかし、今またロシアはウクライナに侵攻して来たのである。


ウクライナの愛国心は、ロシアに虐げられてきた長い歴史の中で培われてきたものである。現在、ロシアのウクライナに対するジェノサイドが問題になっているが、ソ連時代の拙速な農業の集団化政策による大飢饉で、ウクライナは400万から1000万人が命を落としたが、2006年にウクライナ政府によってウクライナ人に対するジェノサイドと認定されている。
ソ連共産党政府のとった土地の共有化を農民達は拒む傾向が強い。特に多くの住民が農民であったウクライナの統治は共産党政府にとって大きな障壁となっていた。そのため、一説によるとレーニン、スターリンらにとってはウクライナの農民問題の解決は至急課題であり、農民の根絶を目指し、人為的にウクライナの飢饉を招いたもと言われている。

この時期に前後し、ソ連時代、ウクライナでは農民、すなわちウクライナ人への懐柔政策と弾圧政策が交互にとられた結果、ウクライナ共産党幹部全員をはじめ多くの人間が粛清された。最終的には、ウクライナ語使用の制限など弾圧政策が長くとられることになった。


ウクライナは、 1 年を通して、気温は -6°Cから 28°Cに変化し、一方、モスクワは 1 年を通して、気温は -11°Cから 24°Cに変化する。何としても少しでも暖かい地方を手に入れたいのである。クリミア半島は2℃から26℃の、リゾート地であり、黒海に面した不凍港でもある。

19世紀、ウクライナのドンバス地方が、巨大な石炭の埋蔵量がある上に鉄鋼床にも恵まれ、このエリアの重工業化、近代化の要衝であると判明するやこの地方は「ロシアの心臓」とか「不可分の南ロシア」と言われるようになった。


「ドンバスはロシアの心臓」、そこから発する動脈がキーウやオデーサを通り、モスクワやぺテルスブルクにつながり、煙突から煙を吐く「工場」に「血液」を送り込んでいるのである。
旧ソ連崩壊後のロシアにはこの心臓がないゆえ、貧血状態になって青白くなっている。ロシアがご執心で盗み取ろうと躍起になっているドンバスは黒海北部エリアにおける「鉄鋼業」「金属工業」の一大中心地の赤い血で満たされた心臓である。


ドンバスなくして、もっと言うならば、ウクライナのないモスクワ時代の「小ロシア」はバイキング由来の北方の野蛮国家でしかなく、経済的な実態はただの寒村でしかない。周りの共和国を取り除いたロシアにとって「ウクライナなければロシアはただの村」ということにもなりかねない。

1783年の併合以来200年以上、ロシアがウクライナから盗んできたもは、ウクライナが独自の近代化を図ることができたはずの繁栄と近代化である。要するにロシアは、ウクライナの未来すべてを盗み続けてきたと言っても過言ではない。

そのように植民地の赤い血を吸い続け、自国においても地方の貧困を顧みず軍事大国への道をまっしぐらに突き進んできたのが現在のロシアの姿である。

この構図は、何もロシアに限ったことではない。一昔前までは、列強大国が歩んだ道でもある。そこでは、強国が弱小国を支配するというのが常識であったが、ベトナム戦争によって、愛国心は何にも勝るという定理を証明して見せた。これ以降世界は少しづつ変化してきた。

世界の歴史から何も学ぶことのなかった独裁者が、一時代前の侵略戦争が、いまでも通用すると勘違いして大砲を打ち散らしているのは恐ろしい時代錯誤である。