リサイクルショップで昔のタイプライターを見るたび思い出す人がいる。
10年程前のこと、パソコンを使ったことのない70代のおばあさんにNET検索とメールの書き方を教えてあげたことがあった。

彼女の言うのには「もう、年だからきっとできないと思うけれど、何とか孫の話について行きたいから教えてほしい。」というものであった。
こちらもちょっと難しいかなとは思ったけれど、ぼちぼち教えてあげた。

席を代わってパソコンの前に座った彼女、眼鏡をかけると、急にキーボードに指を置いて練習用のメモ帳に文章を打ち始めた。それも、タッチタイピングで。
私なんか足元にも及ばないスピードなので呆然としてしまった。最初は、騙されたのかとも思ったが、そうではなかった。
彼女は、若いころ仕事で英文タイプをしていたということで、キーボードの並びが同じなのでそれだけはよかったということである。「「昔取った杵柄(若いころに身につけた技能のこと)」とはこのことである。


キーボードの抵抗がないということは、これほどパソコンに対しての理解力が早いものかと驚いた。
半日ほどで、NET検索とメールの打ち方をマスターして帰って行った。
その後の彼女の上達は目を見張るものがあった。孫にも感心され娘にも見直されたということであった。
60過ぎになると、ほとんどの人は新しくパソコンを使いこなすのは難しいらしい。50代でも適応できない人が多かった。

仕事では仕方なく使っていたビジネスマンが、定年と同時にパソコンを使わなくなっていった人を何人か知っている。そのうちの何人かは、アドレス帳だけは使っているようで年賀状の時期だけ引っ張り出しているということである。

私は、PCはまず絵を描くことから始めたので、文字打ちは今でも雨だれ打法である。それでも慣れとは恐ろしいもので、かなりの速さで打てるようになっている。

ブログを書くこと事がなかったら、今でもこんなにPCで文章を書く必要がなかったように思う。

一方、彼女と同じ年代の女医さんは、今でも文字変換は無茶苦茶で句読点もないようなメールを送ってくる。一読したぐらいでは内容を把握することは到底できない代物である。とても一流大学の医学部を出た人とは思えない。兎に角、暗号文のようなメールである。CDのことを円盤と言う。
ついに「レセプト」(保険者に請求する診療報酬明細書のこと)をパソコンでデジタル化しなくてはならなくなって仕方なく診療所をたたんでしまった。

パソコンとの相性の良い脳の構造というものがあるらしい。若い人でもスマホで満足してパソコンを使おうとしない人も多いのには驚かされる。確かに一昔前に比べるとスマホの機能は比較にならないほどの高さではあるけれど、すべてをスマホで済ませることはできない。

英文タイプになれていた彼女は、今頃、スマホも使いこなしているだろうか。それよりも、まだ、生きているのだろうか。