スマホのカメラ機能が格段に良くなって以来、スマホで画像を撮りまくるようになった。特に接写で撮るのが面白い。思わぬ画像が撮れるが、その中から面白いものを保存している。

パソコンの普及が版下屋さんを廃業に追いやったように、デジカメの普及はカメラマンの仕事を圧迫している。イラストも、画像生成AI「Stable Diffusion」なんかで素人でも作れるようになってきたという。こうなると、選択する目がものをいう。目利きでなくてはならない。いいものをたくさん見ることに尽きるが、NET上には味噌もくそも一緒くたになっているのが怖い。何が良くて何がまずいのかを見極める能力を養うことである。それには何となくぼーっと見ていたのではいけない。すべてを言語化することによって、自己確認するのである。感性と知性をドッキングするようなものである。この過程がないと同じ間違いを繰り返すことになる。特に自己採点が甘い人は、進歩しない。

偉そう言っているが、すべては自分でも通ってきた道である。

企業のトップの人が最終的に何でも決める会社があるが、デザインのデの字も分からない人が決定権を持ち、回りの人達はそれに追従するのを見てきた。製品を作る会社にあっては社員は目を養う必要があるのではないかと思う。日本は資源のない国である故、人材が財産であり国の礎である。

小中高の学校の美術教育を見ると、お遊びアートの延長線でしかない。もっと将来的に役に立つ知識を基礎から教えるべきである。教えるのが上手な先生とヘタな先生では、習う生徒にとって将来大きな隔たりができる。芸術科目は才能だと思っている人がいるかもしれないが、90%は教育と努力である水準まで達することができる。もしそうでなければ、評論家なんて人種は成り立たないということになる。


上のこれらの画像は元はキッチンの真紅の中に飛び散った水である。下手な絵よりはよっぽど面白いと思うが、どの部分をトリミングするかという構成力にかかっている。

自由にイメージする能力もほぼ訓練で上達する。

シンクの水の上の画像からソフトでちょっと加工すると、自分がイメージした抽象画像がすぐにできる。こんな時代がやってくるとは若い頃は想像だにしなかった。

「絵筆が持てなくなったら、俺は死ぬ」と言っていた絵かきがいたけれど、見る目と指が一本どうにか動けば何とでもなる時代である。早まるな。