先々週の木曜日にNET通販で注文した骸骨さんのフィギュアがまだ届かない。


中サイズと小さいサイズの骸骨さんを注文したのだけれど、そのどちらも届かない。


その骸骨さんを使って今年のハロウィンの画像を作ろうと思っていたのにガックリである。


私の骸骨さんたちは一体どこに隠れているのやら。


予定としては扇と骸骨さんを組み合わせて画像を作るつもりだった。


和製ハロウィンの画像である。


考えていたイメージがだんだん消えていく。


気分が乗った時に撮った画像とそうでない時では天と地の隔たりがある。作品を見返していても若いころに創ったものと年をとってから作ったものにはその時々の心の反映がありありと表れているのがよく分かる。

イメージする力は時々刻々変化している流れのようなものである。その時を逃したらもう2度と同じイメージは戻ってこない。大げさかもわからないけれど、年をとるとこのようなことがよく分かる。

癌になって死の縁に立ってから、余計なことがすっかり心の中から抜け落ちてしまった。後に残ったものは、自分にとって本当に価値のあるものだけとなってしまった。

病気になる前から骸骨さんが好きだった。骸骨さんは心を落ち着かせてくれる。ストレスを軽くしてくれる。こんなよく効くお守りはない。ハロウィンが今でも人気があるのは、人間心理の意識下にこんな理由があるのかもしれない。

ただ韓国でハロウィンの混雑で人々が折り重なって大勢がなくなったのには、心が痛む。遺族の悲しみが波紋のように広がっていく。