なぜ月は実際にデジカメて撮られた画像に比べて大きく見えるのか。
水平線近くの月はかなり大きく見える。夕日と同じで、水平線の近くの天体は屈折する大気の層が厚いからだと思っていた。だからこれは自然現象であると思い込んでいた。
しかし、自動車の助手席から何気なくスマホで月の写真を撮ってみたら、小さくて天頂に見る月と同じぐらいの大きさだったことにビックリした。
月を見上げることが多い方なので、生まれて以来今日に至るまで自分の目を疑ったことはなかった。
上の月の写真を撮って、実際に肉眼で月を見た時は、その差が2倍ぐらい違っていた。街灯の明かりの倍以上はあったのであるが、スマホの画像では同じぐらいの大きさである。
考えると、この違いの原因は私の目の錯覚でしかないという事である。
早速、NET検索してみたらやはりこの現象は、心理的要因で大きく見えていただけだという事である。
月までの距離は38万キロメートルで、地平線方向でも天頂方向でも変わらないはずである。しかし、地平線近くの月は大きく見え、天頂近く高く上った月は小さく見えるのである。この現象を「月の錯視」と言われている。
この「月の錯視」に対する決定的な科学的説明は未だにないという事であるから、これまた不思議である。それ以降、月を見るたびに不思議な感覚に襲われる。
ヘレン・R.ロス (Helen R. Ross、スターリング大学) とコーネリス・プラグ(Cornelis Plug、南アフリカ大学)が 2002 年にオックスフォード大学出版局から公刊した『月の錯視のなぞ―大きさ知覚の探求』という出版物においては、これまでのさまざまな実験の結果を総合的に検討し,月の錯視が単一の要因によるものではなく,眼位や頭位,姿勢,そして地平のものの見えなどの要因が総和的に寄与しているのではないかと推測している。
フーンと思って読んでみたが、今一つ納得できない。考えられるこまごました要因すべてにその理由に挙げていて、「ヘタの鉄砲も数打てば当たる」式の論法のようにも思える。
それよりも何度もスマホで繰り返し月の画像を撮っているうちに、心なしか月の大きさが少し小さくなっていくように感じたことである。
人間の視覚がこれほど心理に大きく左右されているというのは今更ながら驚きである。
昔の絵で、主人公や王様なんかが大きく描かれ、民衆や召使は小さく描かれているのを意図的だと思って見ていたが、ひょっとすれば、偉大な人物は大きく見えていたのかもしれないという思いが頭をかすめた。