一筆龍もここまで行くと芸術の領域
上の図を見てすぐに龍だと判断する人は少ないと思う。
この掛け軸は、真言宗 高野山金剛峰寺 宮野宥智 (寺務検校執行法印425世1925年(大正14年))による一筆龍である。
何度も見直してはうなってしまった。表具までしているところを見ると、自信作であるに違いない。
龍は架空の霊獣であるから、誰も見たことがない。これが龍だという決まりはない。手足がなかろうが、顔がひん曲がっていようが誰に文句をつけられる筋合いのものではない。自分が自信をもってこれが自分の思う所の龍だと主張すればそれでいいのだ。そういう意味で、正に自己表現の権現のような龍である。今流に言えば芸術作品の域に達していると言える。
干支の中で架空の動物は龍だけである。来年の干支の絵は自己表現を発散させる年である。クリエイティブな年である。
この龍の顔は、私には王冠をいただいた蛇に見える。
龍の伝説の中には、大蛇が王冠をいただいて天に上った姿が龍だというものがあったことを思い出した。
龍の頭の上に描かれている丸い円は、いわゆる、ドラゴンボールらしい。ドラゴンボールとは、仏教用語で言えば、如意宝珠と呼ばれる。 如意珠や如意摩尼とも言われ、サンスクリット語ではどんな願いをもかなえる珠を意味する。 病を治したり、災いを避けたりすることができ、ありとあらゆる願いが叶う神聖な玉だと言われている。
この辺のところだけを見ていると蛇のようである。
描き方としては一筆竜の技法を用いている。
真言宗は、荘厳華麗な仏教美術でも有名である。この龍も何かを祈願して書かれたものであろうが、お金が貯まる様にとか言う下世話なものではないようではある。
龍は雲を呼び雨を降らす霊獣であるから、雨乞いの儀式に用いる掛け軸だったかもしれない。そう思ってこの龍を見直すと、何やら有難い龍だという気がする。
NETにあげられている龍を見ていると、何だか、それらしい規則があってそれに見習って描いているという亜流臭がする。
参考までに
【寺務検校執行法印】
『現在では「空海の名代」として高野山の儀式を司る最高職とされる。現在の形式になった時期は不詳。毎年2月22日に昇進式、3月13日に転衣式が行われている。任期は1年間。権検校を経て就任するのが慣例。同職を務め終えた者を「前官」と呼ぶ。』