一種類の筆で描くのが一筆龍だと思っていたころに描いた一筆龍。
まだ、NETでも検索が、情報量が少なかったころ、一筆龍とは「一種類の筆で描いた竜」のことだと誤解していた。私は、その頃は一筆蛇を描いていたので、途中で筆を変えることもなかったのである。一筆蛇は舌の先から尻尾まで一種類の筆で描いていた。何しろ、蛇には鬣も髭も角も手足もないから一筆で描くことが可能なのである。
そこから一筆龍もひと筆で描くことは難しいが、一種類の筆で描くのなら可能ではないかとあれこれやっていた時期がある。
一番困ったのが、角である。こればかりは、同じ筆で描くことは不可能である。そこで考え着いたのが、最後に、細い先のとがった綿棒で墨をぬぐい取る方法であった。
失敗を重ねやっと出来上がったのが上の龍である。
兎に角、同じ太い筆で顔の細部を描くことが非常に難しかった。何気なく画像を検索していて見つけた画像はどう見ても顔や手足は別の筆で描いているではないか。一筆龍も日光のお土産でしか売っていなかった時代のことである。
自分の思い違いに愕然となって一筆龍を描くのをやめてしまった。長い空白があって、来年が龍の年であるから龍を描いてみようと思った時には、抗がん剤治療の後遺症で手指が痺れて自由に動かなくなっていた。かなりショックでしばらく落ち込んでいたが、物は思い様と考えなおして、リハビリの一環として一筆龍を描いてみようと思ったのである。つやのあるジェットプリンターの紙を買い込んで、毎日一筆龍を描いたのである。指の感覚がないので思うようにはいかなかったが、水墨画は手の指で描くものでないと思い直して、肩で描くことを心掛けて描いた。100枚ぐらい紙をつぶしたころやっと曲がりなりにも形になったが、細筆が使えないのにはまいった。
どのように集中しても手が思うようには動かない。やっと曲がりなりにも描けるようになったのは、一気にスピードを出して描く方法である。ゆっくり描けば描くほど線は揺れて描くことができないけれど、一気呵成にエイヤッと気合で素早く描くと、竜の顔も細筆で描くことができるようになった。
これで何とか水墨画ももう一度描くことができるのだと思うとほっとした。
龍を描きながら私がいつも思い出していたのは、いつかテレビで見たサリドマイドの女性が足の指で裁縫をしていた姿であった。その姿は、その後の私の人生に大きな影響を与えたのである。