桜が満開の時に降った雨のせいで、桜はすっかり葉桜に姿を変えていく。その葉桜を見ていると急に、忠臣蔵で有名になった浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の辞世の句が頭の中ではらはらと散る桜と共に浮かび上がってきてびっくりした。

辞世の句「風さそう花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん」

内匠頭は江戸城松の廊下での刃傷沙汰に及び即日切腹、 上野介に対する無念の思いを、辞世の句に託したのであるが、ときは1701年3月14日、まさに桜の季節である。

しかし、よく考えてみれば、3月中旬の東京は未だ肌寒いはず。浅野内匠頭の切腹は夕方6時ごろだったらしいが、忠臣蔵の映画では、桜の花びらがはらはら散って満開である。辞世の句を強調するための演出かな。

この思わせぶりな辞世の句を読めば、家臣たちの討ち入りは必至のことであったように思える。

四十七士の内入はそれから1年9か月後の1702年12月14日午前3時。主君の月命日であった。討ち入りが決行された12月14日深夜は、前日に雪が降り、満月という天候で、雪明りで足元も明るかったようである。
忠臣蔵は桜に始まり、雪、満月という絵に描いたような雪月花の世界である。