夕焼けに電信柱のシルエットの情景を見ると、無性に家に帰りたくなる。

日本の街の風景に必ずどこかに写っているのが電柱である。
夕焼けの風景にはいつも電柱のシルエットがどこかにあるが、あまりに普通のことで気にも留めない。


この夕焼けと電信柱のシルエットを見ると、まるでトラウマの様に、「家に帰りたい。」という切ない気持ちになる。


昔の和歌や唄には、電信柱は出てこない。その代わりに、夕焼けの風景には夕餉の支度する煙突の煙である。


夕焼けをテーマにした歌にも、家路に急ぐ様子や心情の歌詞が付いている。


少し離れた郊外に出かけていると、夕焼けの風景に見える電柱のシルエットは、この電線のずっと行ったところに我が家があるのだという思いを湧き上がらせる。


見渡しても田んぼも畑もない都会の中にいてても、思わず「カエルが泣くからかーえろ。」と口から出そうになる。
たまに、家に帰りたくない時でも、夕焼けに浮かぶ電柱のシルエットは、その先にある自宅のテーブルへ思いを引っ張ってゆく。

塾に通っていたころは、夕刻に家を出るので、当たり一面オレンジ色に染まっている時は、塾をさぼって家に帰りたい衝動にかられたものである。

特に、電柱に取り付けられた街灯がともるころになると、主役の夕焼けは、電柱に流れる電気にとってかわられる。ネオンが瞬いて地球は電気の光で輝く。日没と同時に眠る人はほとんどいない。夕焼けはもう一つのナイトライフの営みの始まりである。現代では、その境目のバトンタッチの象徴が電柱であるように思う。